ショスタコーヴィチ・交響曲第11番ト短調op103「1905年」
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮、ソビエト国立文化省交響楽団
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1905年のちょうど今頃、帝政ロシアで起こった「血の日曜事件」をドキュメンタリー風の音楽にしたものです。
静けさの宮殿前広場から帝国軍の群集虐殺、鎮魂、革命への決意と曲は流れていきます。
交響曲の中に血と硝煙と死体を出すのはショスタコーヴィチくらいなものです。

軍隊があまりの群集の多さに怖れて発砲し市民を虐殺する第2楽章、
そういう場面はアップテンポでガンガン鳴らすものですが、この演奏はなぜかグッとテンポを落とします。
そしてスローテンポで一人一人丁寧に撃ち殺し踏み潰すところを描写します。
サム・ペキンパーの好んだスローモーションの暴力描写そのものです。
それと同じ血と硝煙の美学がここにあります。
このいたたまれない酷さが凄まじい美を醸し出します。美とは決して楽しくて気持ち良いものとは限らんのです。

しかしこの曲、あちこちに革命歌がちりばめてあります。第3楽章の頭から「同志は斃れぬ」をしんみりと奏で、
第4楽章の半ばで「ワルシャワ労働歌」の一節を力強く弾きます。実に「萌」えます。
並みのロックンロールよりはるかに危険な曲です、人を鼓舞して銃を執らせる曲。その危なさがいいんです。
そしてラストは、「このままでは済まさんぞ!」とばかりに復讐の念をこめて警鐘を乱打して終わります・・・
・・・・・・これ交響曲だよな?

こんな曲ですから旧西側では「ショスタコーヴィチとあろう人が体制に媚びて下らないものを書いたものだ」
という評価だったのですが、ソ連も歴史の出来事になった今は「これはこれでアリ」という評価になっています。
実際、第12番「1917年」よりも出来栄えは上です。
アレはアレでイッちゃってる凄さがあるのですがそれはまた後日。

しかし、この演奏はあまりも濃すぎますので、曲自体の魅力をストレートに伝える名演ならこっちです。
ネーメ・ヤルヴィ指揮、エーテボリ交響楽団
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こちらなら、強いところはきちんと強く、速いところはきちんと速く、冷たいところはちゃんと冷たくという、
まともでやるべき事を十二分にやっていながら凄みも上の盤ほどでないにしろ備わっている名演奏です。
曲を知るならこちらです。

こっちを聴くとロジェストヴェンスキーが珍演に聴こえ、
ロジェストヴェンスキーに嵌るとこっちのヤルヴィが薄味に聴こえます。
表現の好みが一様でないからこそ面白いので、それで良いんです。そういうもんですこういうものは。