2012.11.29 台場
イメージ 1昨日寒い中駆けずり回ったせいで
今日は疲れて
撮影に出る気にならない。

おまけに風は強い、最高気温7℃じゃ
やってられん。
そのうえ気に入った場所の悉くが
「東京かけっこ大会」で規制と混雑で
使い物にならない。

撮影抜きで女装外出するのは
一線を越えるのでやるべきでない・・・
・・・などと今更ながら角張っていても
こんなとこに画像を出しているのに
何言ってるやらです。

折角の大会だから、タダで
見れるのだからという考えもあるが、
スポーツは見るのもやるのも、
特にやってる奴が大嫌いなので
関係ない。

10℃切って風が5m以上あると
どうしても外套が必要になる。
下に着込んだり鉄粉懐炉で
誤魔化すのも限界がある。
外套着てしまっては
デザイン的な服を着ていても意味が
無くなる。


イメージ 2
折角着ている物を外に晒せないのは面白くない。
それが他人のデザインで無く、
自分で起こした物なら尚更だ。
別に、法に触れる悪事を
しているわけでないのに、
頭の固い腐った奴や下司下郎、
薄ら馬鹿に気兼ねして
自分を矯めるのは我慢ならない。

昔、私は酷いお人よしの買被りで
他人がこっちを悪く言うのは、
その人に
言えるだけの担保があって、
言う通りできない私は、
最低の屑だとおもってました。
自分のことを棚に上げて
人に文句を言う恥知らずの
鬼畜がいる訳が無いと。

でもね、いろいろ修羅場をくぐってわかりました。

人のことを蔑んだりしたり、
ああせいこうせい文句つける輩は
すべて恥知らずの鬼畜だと。








イメージ 3
そりゃ考えてみれば
ちゃんとした知性教養を
身に付けていれば
そんな卑しいことは
恥ずかしくて出来ないし、
幸せな生活している人が、
他人をコキ下ろして
喜びを得ようとするわけも無く必要も無い。

若い頃は、
私に文句をつけたり
馬鹿にする輩、
特に「大人」という奴は
少なくとも、
岩波文庫やベートーヴェンの大半を読んでたり聴いたり
してる人だと思ってましたよ。
人のことを
駄目馬鹿言えるんですから。

でも実際は
ゴシップ雑誌や通俗歌曲が
せいぜいですからね、
馬鹿にしやがって。

まず相手を馬鹿にして
有利に立って食い物にする。
下司屑連中の詐欺師のような
手口にまんまと
嵌っていましたよ。






イメージ 4今は、そういう奴は黙殺します。
親しくなっても、
正体が分かれば切ります。

度が過ぎれば殴ります。

男同士の素手ゴロなら
警察も甘いもので大抵、
相互暴行でチャラになります。
当事者はともかく、
警察にとって、こんな事は
日常茶飯事でいちいち
立件送致していては
仕事にならんということでしょう。

相手が刃物鈍器銃器等を
持って無いのに殴り返せば
そういうことになり、正当防衛に
はならんです。

文句ったらしい因縁つけてきた
輩を先に殴ってスッとして
お咎め無しなのは痛快ですが、
指紋と写真は撮られます。

こっちは覚悟で殴っているので
良いのですが、
輩のほうは殴られた上に、
指紋と写真ですから
いい気味です。





イメージ 5團 伊玖磨の随筆の中に、
若い頃山田耕筰の家へ
訪問したときのことが書いてあり、
山田氏は
「どうしようもない馬鹿は殴らなければ分からない、そこが二階ならば、窓から投げ落とすのも有効だ、
殴るときには拳をこう固めて
当たった瞬間に捻りを効かすと
効果的だ」と
動作をしながら説明し
團氏が庭の物体は?という質問には
「あれはサンドバックといって
嫌な奴を思い浮かべて殴るのだ」
と言われて冷汗をかいたそうです。
これくらいでないと立派な作曲家としてやっていけないのだろうかと。

ものの分からない輩には昔から
そうするしかないようですね

でも一番いいのはそういった輩を
挑発して殴らせて殴り返さず
暴行の現行犯逮捕し、
警察に刑訴法通りに立件送致を
要求する事です。
うまくすれば
輩を犯罪者として社会から葬り去ることが出来ます。

理不尽な要求、制止、因縁に対しては実力行使も仕方ないです。
理屈が通らないのですから。 

2012.11.29 丸の内
イメージ 6暴力は
最適な時に必要最小限使えば
物凄い効果があります。
但し、劇薬なので
時と分量、用法を間違えると
文字通り「死」に繋がります。
使い方のコツは
ここで終わるか否かの人生修羅場を
何度かくぐって下さいとしか
言いようが無いです。

使うなら「自己責任」で御願いします。

なんか今回は
物騒な話題になりましたが、
まぁいいでしょう。
奇麗事を気取るよりは
こういう本音を
吐いたほうが良い。
却って虚像を信じ込まれると
後々厄介だし。

写真の話にしますか。

この丸の内で撮った分は
いつもの如くノーフラッシュです。
単に感度を上げただけの
地明かりです。

暗所だとデジタルは感度を上げればだいたい目で見た明るさで写るので
助かります。


イメージ 7都会の街明かりが明るいといっても
震災後はそれほどでもなく感覚として以前の半分くらいの明るさです。

この環境でフラッシュ焚いたら、
人物だけお化けの様に
闇に浮かび上がり、
電飾がこぼした仁丹のように
申し訳程度に写っていることでしょう。

とにかく「暗いからフラッシュ」という
了見では記録写真以上のものには
成りません。
三脚があるなら尚更です。

スローシンクロすれば別ですが。

夜祭の写真で
見たことがある人もいるでしょうが、
それを使えば背景を流星の様に流して
主要被写体だけをフラッシュの閃光でブラさず写すことも出来ます。

ここでの写真はわざとタングステン被り
をそのままにしてあります。
色補正すれば正しい発色しますが、
それでは折角の電球色での照明光が生かせない。

正しい発色でなきゃ認めんというのも
所詮は好みの問題です。

私の写真なので私の好きにします。