敗戦記念日も近いので、戦後の反戦活動について思う事を書く。
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ミッドウェー海戦の失敗が曲がり角で、以降は制海、制空権を連合軍に取られ、
物資、食料の不足から空襲、それにまつわる悲劇が1945年8月15日の停戦まで続いた。
こんな悲惨な悲劇は繰り返してはならない。確かにそうだ。
なぜそのような事が起こったのか。
負け戦だからだ。歴史を見ても負け戦は悲惨なのだ。
勝ち戦ならどうか。勝った側では反戦活動はまるで下火だ。

戦時中の苦難を語る者も、旧軍が勝っていた頃はどうだったのだろう。
南洋の島々に片っ端から日の丸が立つたびに、天皇陛下万歳、兵隊さんありがとうと喜んでいたのだ。
反戦平和を唱える者には「共産主義者」のレッテルを貼って特別高等警察や憲兵に密告したりしてたのが、
負けたとたん手のひら替えしだ。本当に調子がいい。
日本共産党だけは当時からその様に扱われても反戦活動をしていたので大したものだ。
もっとも、その頃はソ連共産党の手先で革命を起こすための活動の一つだったのだが。

いまは反戦平和を唱えてる連中も、もしもう一度日本が戦争になり、勝つか、良い条件で講和したら、
自衛隊さんありがとうとなり、朝日新聞などはもう一度180度転換するだろう。
あの連中が唱えているのは戦争の悲惨さでは無く、負け戦の悲惨さだからだ。

修学旅行等で特攻隊や原爆の悲惨さを学んで
「戦争は嫌です、でもやらねばならぬなら絶対に負けちゃだめです」
という感想を提出したら、殺されても戦争しないと言うまで説教が続くという。
戦前の好戦一辺倒の教育で異を唱えるものを腰抜けとぶん殴っていたのと同じではないか。
その手の連中の不思議なことは家にはカギをかけ防犯カメラまで設置したりしているのだ。
生命財産を奪いに来る敵軍には無防備無抵抗でしたいようにさせて、泥棒は許さない。
冗談じゃない。
街を歩いていてもこちらが品行方正にしていても絡んでくるヤカラはいるのだ。
国内なら警察を呼べば何とかなるが、
残念なことに国際関係では警察などいない。
米国がそのつもりだろうが自国に都合の良い時に限って味方してくれるだけだ。
やはりスイスの様に重武装中立が良い。
その様にするにはもっと政府、政権党に信頼が無ければ。
TPPに参加しないと言いながら参加したり、消費税上げないと言いながら上げたり。
そういう裏切りを平気でやる以上は無理だろう。

戦争はしんどい。国民や国家に相当な負担を掛ける。
勝ったとて回収できる保証も無いが、
やるとなったら、少なくとも良い頃合で講和して手を引かねばもっと悲惨な事になるのが、
反戦平和連中を見てると良く分かる。

戦争指導は政治家や軍人よりも勝てる相場師にやらせた方が良い。
良い所で勝ち逃げ、割と大きく負けたら一旦手を引く。
負けたからって熱くなってドンドンつぎ込んで種銭割るどころか破産してどうする。
勝ってる所で止めるのは難しい、少し大きく負けた所で止めるのはもっと難しい。
成功体験が変に邪魔をしてイケイケで取り戻せると思うからだ。
ソコソコ儲けが残ってるうちに止めなければ。

ホント、それが一番難しい。